第 2次世界大戦後、戦地より復員してきた柳瀬重朝(ヤ ナセシゲトモ)氏は、沖仲仕や駐留軍労務者、看板描きなどを転々・・。商売を始めたものの、貧しさの 中でやっと探し出したのが「シャボン玉売り」でした。進駐軍のバーから貰い下げたウィスキーのポケット瓶に”特製”の石けん水を入れて売り歩きました。その中で、子供たちへのオマケをつけてやりたいと考え、昔、母親が作っていた糝粉(しんこ)細工のお人形をヒントに小さな土人形を作りました。民芸ブームで 湧いていた当時、この人形が郷土玩具の研究家諸氏の目に留まり、八幡の郷土史家・境忠二郎氏によって「門司ヶ関(文字ヶ関)人形」と命名されました。
「門司ヶ関(文字ヶ関)」とは福岡県北九州市門司に平安時代から鎌倉時代にかけて置かれていた太宰府官道の関所のことです。「文字ヶ関」という言い方は近くに筆立山(ふでたてやま)があり、関門海峡を別名「硯(すずり)の海」と呼んでいたことから、昔の人は「門司」を「文字」に当てることで「筆・硯・文字」という風流な関係を楽しんだと聞いています。
シャボン玉のオマケから始まったものが全国的にも北九州の郷土玩具としてカタチを整えるまでになりましたが、残念ながら昭和五十年代初めに柳瀬氏物故のため廃絶となりました。
デザイン系の学生時代に恩師である門司の郷土史家・村上正啓先生(柳瀬氏に助言をされていた方)からこの人形の復活を勧められたことがキッカケでした。柳瀬氏が作っていた土鈴や張り子の型は亡くなられた時に他の遺品とともに全て処分されており、大きさや形状については先生のお宅に保管されていた数十体のお人形を参考にするしかありませんでした。先生のアドバイスを受けながら、試行錯誤を繰り返すうちに、段々と個性の違いや材料の違い、時代の違いなども相まって、ようやく現在のカタチへと整って参りました。今では「民芸品」や「郷土玩具」というジャンルにとらわれない、新しいタイプの手捻り土人形として継承をさせて頂いております。
門司ヶ関人形は“手の中で作る”を基本的として、一つ一つを手捻りで仕上げる小さな土人形です。素材には主に信楽の陶土を使用していますが、タイプによっては低温焼成粘土や石粉粘土、紙粘土なども使用します。自然乾燥で仕上げるため細部の加工に制限はありますが、土が持ってる心地良い重さと温かさはぜひ一度手に取って実感して頂きたいと思います。
門司ヶ関人形・制作者 上村 誠